根本的な部分は前作と特に変わらず。
ただ対象年齢が無印よりも更にもう一段階下がったように感じた。
以下ネタバレ注意。
ノブチナルート
前作と同じく、多少のテーマは違っても前回書いた「自分がそうでなくてはならないという思い込みや決め事を変えるには愛や学びが必要で、人道から外れて獣にならないためには支えてくれる仲間が必要」という根本的な部分はどのルートも同じなので攻略順は何でもいいと思う。
私の攻略順はノブチナ→ルーシア→ユーラシア→アイリスだった。
ノブチナルートは家族についての話。
ノブチナは愛人の娘であり、家系図にも名前がない。母親は逃げ、父親も面倒になりノブチナ達と向き合わずにいた。
家にはノブチナと向き合ってノブチナのことを教えてくれる人はだれもいない。だからノブチナは自分のことがわからない。
ノブチナに向き合って叱ったり褒めてくれたりしてくれる人がいないので、ノブチナは何もかも自分で判断するしかなかった。
そしてノブチナは誰も殴らないというみんなとの約束を破り、警察に捕まる。
留置所にいながらも、面会に来る人達とも先程言ったような家族関係などを言い訳にし喧嘩するノブチナだが、そういうノブチナも誰かを批判できるほど人と向き合っているのだろうか。
ノブチナは誰も殴らないというみんなとの約束を破ったことを誰にも謝っていなかった。
ノブチナは人と向き合っていない。人に向き合ってほしければ、まずは自分から向き合うべきなのだ。
そしてノブチナはみんなと向き合うことにした。
さて、今更だが人と向き合うとはなんだろう。
それは、その人に関心を向け、挨拶したり叱ったり許したり感謝したり、その人のために感情を向けたりすることではないだろうか。
ノラととは無印から「誰かと会ったら挨拶をする」「間違ったことをしたらきちんと謝る」「お礼はちゃんとする」といったようなことをしつこいくらいに描写していた。
人と向き合うとはそういったことであり、愛というのもそれで、人と獣の違いもそれで、幸せもそれで、生と死との違いもそれだろう。
パトリシアは、ひたむきに努力して精一杯生きることが愛だと言う。
ひたむきに努力して精一杯生きるとは、ノブチナが一人でヤクザの事務所に乗り込んで暴れたり、ノブチナの父がノブチナに負い目を感じて叱るではなく謝ったようなことではない。自分が間違えたら謝り、誰かが間違えたら叱る。そういったふうに人と向き合い、前に進んでいくことが精一杯生きるということなのではなかろうか。
ノブチナは家族と向き合い自分と向き合い、自分を愛して他者を愛した。
精一杯生きるとはそういうことだろう。
ところでなんなんですかねこのミニゲームは。
前作とテキスト量あんまり変わらないのにやけに容量でかかったのこのミニゲームのせいやろ・・・。
ルーシアルート
ルーシアはいつも妹達を優先したり、母親の命令を忠実にこなしたりしており、自分にではなく妹達や母親の方に自らの価値を見出していた。
しかし、自分をさえ幸せにできない者が他者を幸せにすることができるのだろうか。
ココロが曇ったままじゃ誰も救えない
「天下卜ーイツ A to Z☆」Pastel*Palettes
ノラがまた猫から戻れなくなったのもそうだ。ノラは自分はどうでもいいがルーシアさえ幸せになればいいと思っていたから人に戻れなくなっていた。
前作の未知ルートやユウキルートなどでも言っていたことだが、誰かに言われるがまま生きたり、誰かのためだけに生きるのは果たしてそれは生きていると言えるのだろうか。そんなものはゲージで飼われた獣と何ら変わらない。
まずは自分の好きなこと、やりたいことを知り、そのために前に進んでいくのが生きるということなのではないか。
ルーシアはノラのことを好きになり、ノラと一緒に生きるという自分の幸せのために前に進むことに決めた。
ユウラシアルート
特に書くことがない。
ライターさんはシャチとユウラシアに恨みでもあるのかな?
アイリスルート
Wikipediaによると、ノラととのテーマは「死生観」らしい。
2をプレイし終えた今でも前回書いた「人と獣」、自分がそうでなくては・・・長いので略して「人と向き合うこと」というのがテーマだと思うのは変わらないが、ちょっとその死生観というのに乗っかって考えてみたいと思う。
パトリシアが地上に来たのは、地上の人達に死を知らしめるためだった。
しかしそこでパトリシアはノラと出会う。
ノラは母親を亡くしており、ノラは最初はそのことを受け入れられなかったが、忘れるために遺骨を海に撒き、頑張って生きることにした。
パトリシアは水を殺して砂に変えることができる。つまり海は生の象徴、砂は死の象徴だ。
だからノラは母親を砂に埋めて死を忘れないことよりも、海に撒いて生を肯定することにしたということだろう。
そもそも死んだらそれで終わりなのだろうか。
ノラは、身体は朽ち果てるかもしれないが想いは永遠だと言う。
想いは永遠。ならばその想いのために精一杯生きたほうがいい。
まあパトリシアルートはこんな感じだったと思う。
アイリスルートもこれに少し近い。
ただアイリスルートは、「死と生」というよりも「過去と未来」がテーマだったように思える。
アイリスはエンド家に人々から忘れられる呪いをかけられていた。
アイリスは砂浜や校庭に足跡をつけ、鉛を流し込めと言う。今の自分・・・ちょっと飛躍して言い換えると、死であったり、過去を忘れないためだ。
しかしアイリスはノラやパトリシア達と出会い、そこから一歩踏み出す。
歴史を学び、過去を受け入れ前に進もうとする。
アイリスの国の目的は、冥界を忘却の果てに追いやることだった。つまり死と生を完全に切り離すことだ。
確かに誰かの死を思い出すのは辛いかもしれない。そして誰かに忘れ去られることも辛い。
けれども周りに人がいればどうだろうか。死を思い出す辛さを分かち合うことができるし、自分のことを忘れられることもないのではないか。
アイリス達は、過去に拘るよりも未来を肯定する。一人ではなく沢山の人達と一緒にいれば、辛いことがあったときも背中を押してくれ、前に進むことができるだろう。
アイリスは今つけた足跡を残すよりも、波でかき消され、また新しく足跡が出来ていくことを肯定する。過去や死よりも、未来や生を肯定したのだった。
ネコのお考え100連発
99円だったのでついでにプレイ。
2ではなくて無印の方にパッチを当てる形になるので終わったからといってアンインストールしないように(1敗)。
プレイ時間は2時間くらい。100連発と言っても一つ一つがそんなに長くないのですぐ終わる。中にはこんなものも。
まあ流石にここまで短いのは数えるほどだったけど。
私は本編のときからネコのお考えはお口直しくらいにしか思ってなく好きでも嫌いでもなかったのだけれど、50個目くらいになったときから、ああもうノラととも終わりなんやなとすごく寂しくなった。なんだかんだで3週間くらいやってたからなあ。まあ私もアイリスのようにここに留まるよりも未来に進まないと(次のゲームなんにしようかな😇)。
雑感
感想書いているうちにやっぱり「人と獣」よりも「精一杯生きること」や「死生観」のほうがメインテーマっぽく思えてきた。うーん。「人と獣」と「死生観」は「人と向き合うこと」と「精一杯生きること」までは主張してないかなあ。「人と向き合うこと」と「精一杯生きること」がファイナルアンサーで。対戦ありがとうございました。
まあなんにせよ心があるかどうかだ。野良猫ハートを持って生きていこうな。
児童文学と書いたが、2では「大きなかぶ」「花咲かじいさん」「ジャックと豆の木」「マッチ売りの少女」などとやけに児童文学からの引用が多かった。話も無印よりわかりやすく子供向けになっている感じで、エッッッシーンや多少の暴力シーンを抜いてキャラデザを変えればそのまま児童文学として成立するんじゃないか。パトリシアが子どもたちに絵本を読み聞かせしているのをライターさんが私達にやっているようなものでしょう。
評価はキャラ4.5/5、テーマ4.5/5、展開4/5で87/100。ノブチナがよかったので前作よりもキャラ+で。ただアイリスやノエルはアイリスルート以外ほとんど出番がなく、未知もほとんど出てこなかったのがあれだったけど。
ぶっちゃけるとルーシアルート~アイリスルートは飽きてきて寝落ちしまくっていたので、無印と2を連続でプレイするのは失敗だったかもしれない。ノリが独特なのでちょっと疲れる。
ノブチナルート・・・というか全ルートそうなんだけど私が前回の記事でうだうだ言っていた事へのカウンターにもなる。人と向き合って前に進もうと言われても、私はマジで人と対面しただけで頭痛くなって逃亡したくなるからな。この頭痛を体験してから言ってくれ😡🐯。未だに家族や友人にも発動するし🐯。しかもこういうストレスって対面した人にも伝わるからな🐯。私はマジで外に出ないほうがいい人間🐯。私が人と関わる時に基本無表情なのは、人と向き合う気がないからだ🐯。るい智でも言っていたが無関心は悪🐯。
まあいつか人と向き合うことが出来て前に進めたら良いですね。
ほな、また・・・。