唯唯漂うただの海藻

本やゲームなどの感想とか好きなことを書いていく。

「恋に至る病」感想-自信のなさという病-

タイトルに惹かれて読みました。

ジャンルとしてはミステリー系のライトノベルです。

 

あらすじ

やがて150人以上の被害者を出し、日本中を震撼させる自殺教唆ゲーム『青い蝶』。
その主催者は誰からも好かれる女子高生・寄河景だった。
善良だったはずの彼女がいかにして化物へと姿を変えたのか――幼なじみの少年・宮嶺は、運命を狂わせた“最初の殺人”を回想し始める。
「世界が君を赦さなくても、僕だけは君の味方だから」
変わりゆく彼女に気づきながら、愛することをやめられなかった彼が辿り着く地獄とは?

引用元:メディアワークス文庫より

ヒロインの寄河景は、主体性がなく流されるまま生きているような人を、「青い蝶」というゲームを使って自殺へ誘導していきます。

主人公であり寄河景の恋人の宮嶺望は唯一それを知らされていますが、止められずにいました。

『恋に至る病』は、寄河景がなぜそのような犯行へ至ったのかを考えるミステリーだったと思います。

死に至る病

タイトルから連想されるのが、キェルケゴールの『死に至る病』ですね。

私は岩波文庫のものを持っていながらも読むのがめんどくさくてまんがで読破で済ませてしまった人間なので、ちゃんと理解しているか怪しいですが軽く内容を説明します。

死に至る病」とは、絶望のことで、自分自身の自己を見失うことです。少し噛み砕いて言えば、責任をもって自分で自分自身を選ぶのを放棄することでしょうか。

自己を見出そうとせず流されるままに生きたり、自己を選ぶ自由と責任から逃げて心を閉じたり、自己を選ぶ自由と責任から抗い他者に攻撃したり。そういった人達が絶望している人と言えます。まさに『恋に至る病』で寄河景に殺された人達ですね。

キェルケゴールはそういった絶望から逃れるには、信仰しかないと言います。信仰といっても、キリスト教徒になれと言っているわけではなく、倫理的(自分を見つめなおすこと)、弁証法的(絶望と向き合って調和することを繰り返すこと?)に、自分が信じられる価値観を自分で創造すればいいとのことです。信仰によって自分自身を見失わないように、絶望しないように、自己実現していけといった感じですね。

まんがで読破の死に至る病を読んで私が理解したのはこれくらいで、合っているのかもわからないので一応岩波文庫のものも引っ張り出してきたんですが、1ページ目から何言ってるのか全く理解できなかったんでこれ以上は深く触れません。

そろそろ『恋に至る病』の話へ戻ります。以下からネタバレ注意です。

恋に至る病

私のストーリー解釈を書いていきます。

寄河景(以下景)は、小学生の頃からそのカリスマ性によってクラスメイト達を操っていました。

そして宮嶺望(以下望)が転校してきますが、望は内向的で景視点ではあまり景に興味を持っているように見えません。なので景は自分が小さな女の子に親切にしているところを望に見せつけ、自分に興味を持ってもらうように仕向けます。ですが、そこで景が顔に怪我をするという事故が起こってしまいます。望が景を助け、数日後望が景のお見舞いに行った時、望は景に、「景はどんな風になっても綺麗だよ」と言います。おそらくここで景は望のことが好きになったんだと思います(景の望への呼び方が宮嶺くんから宮嶺に変わったこともその証左かと)。

根津原が望をいじめるように仕向けたのは景でしょう。いじめは事故後景が休んでいる間には始まってなく、景が復帰してから始まりました。最初に消しゴムがなくなり、その消しゴムも景が所持していました。

そして景はクラスメイトを操って根津原を殺害します。殺害したのは根津原が暴走して操作不能になったからという可能性もありますが、100名以上も自殺へ誘導することができる景にそれはないでしょう。単純に用済みになったからだと思います。

そして数年後景は自分のやっていることを望に告白し、いろいろあってラストのシーンに入るわけですね。

で、景がなぜこんな事をしていたかというと、お見舞いの時の言葉、「宮嶺は私のヒーローになってくれる?どんな時でも、どんな私でも、宮嶺が私を守ってくれる?私の味方でいてくれる?」という約束が本当かどうか確認したかっただけだと思うんです。

恋に至る病とはなんでしょうか。私が思うに、「自信のなさ」ではないかと。望が景に恋したのは、自信がなく困っていた自分を助けてくれ、褒めてくれたから。景が望に恋したのは、顔に傷を負って完璧ではなくなった自分を望がそれでも綺麗だと言ってくれたから。景は自分は完璧ではないと愛されないと思っていたんじゃないですかね。だから殺人を犯し汚れていったんじゃないかと。「青い蝶」を作って殺人を犯していたのは、どれだけ汚れても望が自分を愛してくれるかという確認作業に過ぎなかったのかもしれませんね。

結局、景のしていたことは「青い蝶」の被害者達と同じく自己から目を背ける行為ですし、死で終わったのは当然だったのかもしれません。人を操ることをやめられなかったり、完璧でないと愛されないと思っていたり、そういった自分と向き合うことができればこんな結末にはならなかったんじゃないかと思います。