中学生の時にハマってた漫画です。
今読んだらどんな事を感じるだろうかと思い、読み返しました。
痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得る事などできないのだから
まずはこういう文章から始まります。
これって何のことかと言うと、等価交換の事ですね。
ここである疑問が生じます。
等価交換しかできないのなら、人はいつまで立っても成長できないんじゃないか?
と。
ストーリーについてあれこれ話す気は今回あんまりないので、先に結論から書いてしまいましょう。
アルフォンス:10もらったら自分の1を上乗せして11にして次の人へ渡す
エドワード:何度も犠牲を払ってきたが、その度に心は強くなっていっていた
3人の結論はこんな感じです。
まずはアルフォンスの「10もらったら自分の1を上乗せして11にして次の人へ渡す」から。
人がそれぞれ知識を身につけ、もらった10の価値を上げ続けていけば人はどんどん成長していくし犠牲になってしまった人も助けることもできる。
実にアルフォンスらしい優等生な解答だと思います。
一言で言えば、愛ですね。
愛があれば見返りなしにいくらでも分け与えることができる。
最後、エドワードの「何度も犠牲を払ってきたが、その度に心は強くなっていっていた」
物語の最後、こんな言葉で締めくくられていました。
痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得る事などできないのだから
しかしそれを乗り越え自分のものにした時......
人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう
見事にプロローグでの言葉を否定しています。
こうして鋼の心を手に入れていたからこそ、エドは真理の扉(等価交換の法則)を差し出せたのでしょう。
まさに鋼の錬金術師ですね。
このように、鋼の錬金術師は等価交換を否定して、愛や信念などを肯定する話だったと思います。
ホムンクルスのお父様のように、誰かを犠牲にすることばかりしていたらいけないってことでしょう。
一気読みして思いましたが、ハガレンは、プロット通りにノンストップでひたすら進んでいってるって印象でした。
個人的にはもう少しおふざけ...というか日常シーンでのキャラ掘り下げ回みたいなものをちょくちょく挟んでほしかったかなと思います。(コードギアスの猫に仮面奪われた回みたいな)
巻末の4コマ漫画がその役割に該当すると思いますが。マジで4コマ漫画だけが癒やしだった。
対立煽りみたいで他の漫画の名前出したくないですが、同じくプロット通りにひたすら進んでる漫画でも、進撃の巨人みたいにシリアスシーンの中にシュールなギャグ挟んでくるとか。そのシュールなギャグにもよく考えれば意味があるから進撃の巨人はすごい
鋼の錬金術師は思い出補正込みで好きな漫画トップ10に入りますが、そういうところ少し惜しかったです。何様だって感じかもしれませんが