ポケモンに夢中になっている間にいろいろな漫画が終わっていた…
その中でもこのがっこうぐらし!という漫画は結構好きな漫画でした。
周りの人が突然ゾンビになっちゃってそんな中で生き抜いていくというストーリーの漫画です。
そのクライマックスのシーンで少し思うことがあったので書いていきたいと思います。
がっこうぐらし! 12 (まんがタイムKR フォワードコミックス)
- 作者:原作/海法紀光[ニトロプラス] 作画/千葉サドル
- 出版社/メーカー: 芳文社
- 発売日: 2020/01/10
- メディア: コミック
生きることは誰かと存在を認め合うこと
がっこうぐらしという作品は、生きるとは何かっていうことについて描いていたと思います。
がっこうぐらしのラスト、
いろいろな妨害をくぐり抜けて学校に戻った主人公の由紀は、外部に向けて「わたしはここにいるよ あなたは誰ですかどこにいますか」と発信します。
その言葉が届いて主人公たちは助かりました。
この言葉についてちょっと見ていきたいと思います。
わたしまだ生きてるよ生きるのは怖いよ…みんなと一緒にいたいよ
由紀は、辛いことが多すぎて物語中盤まですっかり心を閉ざして現実を見ないようにしていました。
結果的には周りを助けていましたが、半分足手まといみたいな感じでした。
いってらっしゃいいってきますって言ってここまで来たよ
でも好きだからと言ってただ一緒にいるだけじゃだめ。
いってらっしゃい🙋♀️いってきます🙋♀️と言ってお互いを認めて助け合いながら生き延びてきました。
わたしはここにいるよあなたは誰ですかどこにいますか
生きるのは辛いかもしれない。そんな辛さのせいで他の人も生きているということを忘れてしまうこともあるかもしれない。
そういった寂しさからわたしたちはここにいると発信し、繋がりを求める。
そうしてまたお互いを認め合いながら生きていく。
生きるのが辛いから他者を求める→ただ一緒にいるだけでなくお互いを認め合う→わかりあえる保証はないけどわかりあうために自分からメッセージを発信する
なるほど…クロスチャンネルですね!
調べてみると登場人物の名前もクロスチャンネルの登場人物と似せてあるそうなないそうな。
がっこうぐらしで感動した人はクロスチャンネルもプレイすることを強くおすすめします。
思うこと
ここから感想というか自分語り。
まあこれはクロスチャンネルをプレイしたときも思ったことなんですが。
クロスチャンネルとがっこうぐらしのこの結論には、感銘は受けるけど共感はしなかった。
なぜなら、私には寂しいという感情がないから。(中二病並感)
別に世界中から自分以外の人がいなくなってもそれほど問題ないし、じゃあブログもTwitterもやめろと言われても簡単に辞められます。
実は私はこのブログを始めた頃はひきこもり脱出しかけてましたが、現在はまたひきこもりに戻って週1か2くらいしか外に出ない生活をしています。
ガチで人と会いたくない。言うならば私は他者の存在を認めてないんですね。
なにか嫌なことがあったからそうなったんだろと言われるかもしれませんが、物心ついたときからそうでした。
幼稚園とか何が楽しいのかわからなくて端っこで座ってボーッとしてたし、行きたくなくてガン泣きしてたのもよく覚えてます。
一人で読書したりゲームしたりしてるほうが楽しい。
この間…といっても3年以上前ですが、「タイムトラベル少女〜マリ・ワカと8人の科学者たち〜」というアニメを見ていて、子どもたちが親の手伝いを私がやる私がやるとアピールするシーンで衝撃を受けました。
子供ってそうやって自分の立ち位置を探していくものなんだと。人の役に立ちたい、人に認められたいという感情は子供の頃から備わっているものなんだと。
私はそうではなかった。ずっと一人でいたかったし別に誰かに認められなくてもよかった。
構ってちゃんな人に嫌悪感を感じるのは私が他人の存在を認める気がないからだろうね。
治せと言われても無理だ。そういうふうにできてしまっているから。できるだけ人と会わないように生きていきたい。