ぼくが必要としているのは罰だ。 ぼくは罰してくれるひとを必要としている。 いままで犯してきたすべての罪に対して、ぼくは罰せられることを望んでいる。
『虐殺器官』は400ページ超の長編小説でして、内包されたテーマも多いのですが、一つに絞るとするならば「罪と罰」だろうなと私は思います。
あらすじ
9.11以降、テロとの戦いを経験した先進諸国は、自由と引き換えに徹底的なセキュリティ管理体制に移行することを選択し、
その恐怖を一掃。一方で後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加。世界は大きく二分されつつあった。
クラヴィス・シェパード大尉率いるアメリカ情報軍特殊検索群i分遣隊は、暗殺を請け負う唯一の部隊。
戦闘に適した心理状態を維持するための医療措置として「感情適応調整」「痛覚マスキング」等を施し、更には暗殺対象の
心理チャートを読み込んで瞬時の対応を可能にする精鋭チームとして世界各地で紛争の首謀者暗殺ミッションに従事していた。
そんな中、浮かび上がる一人の名前。ジョン・ポール。
数々のミッションで暗殺対象リストに名前が掲載される謎のアメリカ人言語学者だ。
彼が訪れた国では必ず混沌の兆しが見られ、そして半年も待たずに内戦、大量虐殺が始まる。
そしてジョンは忽然と姿を消してしまう。彼が、世界各地で虐殺の種をばら撒いているのだとしたら…。
クラヴィスらは、ジョンが最後に目撃されたというプラハで潜入捜査を開始。
ジョンが接触したとされる元教え子ルツィアに近づき、彼の糸口を探ろうとする。
ルツィアからジョンの面影を聞くにつれ、次第にルツィアに惹かれていくクラヴィス。
母国アメリカを敵に回し、追跡を逃れ続けている“虐殺の王”ジョン・ポールの目的は一体何なのか。
対峙の瞬間、クラヴィスはジョンから「虐殺を引き起こす器官」の真実を聞かされることになる。引用元:劇場アニメ『虐殺器官』公式サイトより
『虐殺器官』の世界は、アメリカ同時多発テロ事件の後、サラエボに核が落とされた世界です。
もしアメリカ同時多発テロ事件の後もテロが起こり続けていたらって話ですね。
死者からの呪い、罪と罰
そういうわけで、母は父に呪われたのだ。
ここからは思いっきりネタバレしますので注意。
主人公であるクラヴィスの父は、理由も告げず自殺しました。クラヴィスの母は、その自殺によって呪われることになります。
死というものは呪いです。その死の理由が自分にあったのか確かめることも出来ないし、例えあったとしてももうこの世にはいないので許されることも償うことも永遠に出来ません。
そしてクラヴィスもまた死者への罪のことで悩んでいました。自分が任務で殺してきた人々への罪と、母の生命維持装置を止めることを決断したことへの罪です。
ぼくが必要としているのは罰だ。 ぼくは罰してくれるひとを必要としている。
クラヴィスは罰してくれるひとを必要としていました。そこで現れたのがルツィアです。クラヴィスはジョン・ポールに近づくため身分を偽ってルツィアに近づきましたが、その後そうやって嘘をついていた罪をルツィアに罰してもらおうとしました。
しかしルツィアも死んでしまい、また罰してくれる人がいなくなりました。クラヴィスがラストでアメリカに虐殺の文法を播いたのは、新たに罪を犯すことで誰かに罰して欲しかったからだと思います。アメリカ以外の国を救うためというのは口実に過ぎず、やっていたことは世界を巻き込んだ自殺だったのではないでしょうか。
ジョン・ポールについても同じです。ジョン・ポールの妻と子は、サラエボに落とされた核によって亡くなりました。ジョン・ポールは妻と子のような被害者を出さないために、テロを起こしそうな後進諸国に虐殺の文法を播き、内戦へ誘導し怒りを内に閉じ込めたと言っていました。ですが、私はこれが本当の動機だとは思わないんですよね。妻と子が亡くなった時、ジョン・ポールはルツィアと不倫していました。妻と子が亡くなり、その罪を償うことが叶わなくなりました。だからジョン・ポールは罰を求め、アメリカを救うためということを口実に後進諸国に虐殺の文法を播き、その罪を背負うことにしたのだと思います。
自由と責任
自由とは、選ぶことができるということだ。できることの可能性を捨てて、それを「わたし」の名のもとに選択するということだ。
クラヴィスは母の生命維持装置を止めることを決断したことへの罪をルツィアに告白します。ルツィアはそれは間違った選択ではないと言い、遺伝子とミームの話をします。クラヴィスはそれに対し、ならばぼくたちは遺伝子とミームに支配されているんじゃないかと言います。対してルツィアは、そういった先行条件があったとしてもそこから自分が選ぶことができるからこそ人は自由なんだと言います。
クラヴィスはその言葉を聞き、自分の罪は誰かに背負わされたものではなく、確かに自ら選んだものだと気付き、少し救われます。
あなたはこう思っているんでしょう。いつも自分は、他人の命令に従っていろんな人間を殺してきた。それがさらなる虐殺を止めるためだなんて言われていても、自分は銃だ、自分は政策の道具だ、と思うことで、自分が決めたことじゃない、そういうふうに責任の重みから逃れられた。
クラヴィスは前頭葉局所マスキングとカウンセリングによって心理状態の調整をして良心のモジュールを薄めてから戦場に行きます。すると、人を殺すことに抵抗がなくなりますが、クラヴィスはそうやって罪悪感なしに人を殺すことに違和感を持っていました。しかしそうした措置や他人の命令で人を殺していても、殺すことを選択したのは自分だとなんとなく気付いていたしルツィアによってはっきりと気付かされました。自分が犯した罪は全て自らが選んだ結果であり、自らの責任だったのです。だからこそクラヴィスは自らの罪に対し罰を与えてほしいと躍起になっていたのかもしれないですね。
その他雑感
久々に長めの小説を読みましたが面白くてスラスラ読めました。ですが知らない単語が多く、20回くらい辞書をひいてしまい、私は全然学が足りないなあと気付かされました。
罪と罰についての話も面白かったです。みんな責任感強いですね。「人は見たいものしか見ない」と言われていたように、私も都合の悪い事実からは基本的に目を逸らして生きていますので『虐殺器官』の登場人物たちのようには生きられないです。
『虐殺器官』というタイトルについて触れておきます。
器官というのは、進化の適応によって発生した産物のことです。『虐殺器官』の世界にとって、虐殺は必要なものとなってしまったんですかね。サラエボへの核投下により、核というものの実用性が証明され、なんとしてもテロというものを食い止めないといけなくなりました。そのための手段が虐殺であり、私達の世界も一歩間違えればそうなってしまうかもしれないですね。
あと余談ですが、私が途中まで考えていたことを公開します。まあ結末は全然違ってて公開するの恥ずかしいのですけれど、メモがもったいないので吐き出します。
物語序盤で、言葉について触れられていました。
言葉の不完全性、つるつるした世界、実際にウィトゲンシュタインも引用され、「人は見たいものしか見ない」というフレーズから、言葉では伝わらないものが多く、人はよっぽどショッキングな出来事にしか関心を向けないからあえてジョン・ポールは虐殺を誘導し世界に関心を向けさせ平和に導いていたのかなと思っていましたが全然違いました🤪。
虐殺が起きて米軍が介入したらその国は平和になるみたいなこと最初の方に言ってなかったか・・・?まああれね。遠くで起きている悲惨な出来事よりも自分の身近な出来事のほうが人って関心がありますよね。私もコロナで関西だけで毎日何十人何百人も亡くなってることよりも肩と背中が今痛いことと明日のご飯どうするかについてのほうが関心ありますもの。というかコロナで毎日何十人何百人も亡くなってるの最近知りました。周囲でかかった人全くいないので。こんなこと言っていますが普通にショッキングでした。皆さん身体には気をつけてください。
次回は『ハーモニー』を読みたいと思います。