おすすめされて読んだ本。
僕はうつ病に両足突っ込んでいて活字があまり頭に入ってこず、しっかり読もうとすると数ヶ月かかってしまうので普段こういう難しい本をあまり読みません。
なので僕が難しい本を読むときは、まず巻末の解説を読む→ネットで解説や感想を読み漁る→本文を読み始める、って感じで読んでます。
本文を読み始めるところまでいってもやっぱり読めなくて流し読みするか諦めています。今回は開幕3ページで諦めました。
最近だとウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』もユングの『自我と無意識』もこの方法で読みましたし、それでも積んでいる本がたくさんあります。
そういうわけで、完全に理解しているとはとても言えませんがそれでもよければご付き合いください。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(プロ倫)の目的と結論
本が書かれた目的と結論さえわかってしまえばその本の8割くらいはわかったようなもんやろっていうのが僕の持論です。
例えば論理哲学論考でいうと、言語によって思考できることと思考できないことに分ける(目的)。そして、語ることのできないものには沈黙するしかない(結論)。といったような感じです。
そこまでの過程や証明は完全に理解するのに時間かかるしあまり気にしなくていい。その結論を受けて何を思うかが重要だと僕は考えています。
さっきも例に出した論理哲学論考だと、思考できることと思考できないことに分けるまではいいですが、そこからの結論は明らかにおかしいです。そういう事を考えるのが読書の醍醐味だと考えています。
ちなみにこちらエロゲの感想ですが実質論理哲学論考の感想のページです。
感想と言っても感想と言える感想は数行しか書けていませんけど。機会があれば語り得ぬものについて語っていきたい。
閑話休題。
で、プロ倫の目的は、近代の資本主義を推し進めていった精神(資本主義の精神)は何か探ること。
結論は、その一因にプロテスタンティズムがあったということです。
これだけだと分かりづらいと思うので軽く説明します。
カトリック教会が免罪符を発行しだして、それに対してお金を払ったら救われるというのはおかしいんじゃないかとカトリック教会から分裂したのがプロテスタント教会。
プロテスタントの考えでは免罪符によって救われるのではなく生まれる前に救われるかどうか決まっている。しかし人々は自分が救われているかどうかわからないので天職によって救われている確信を得ようとした。
天職というのは世俗の職業は神から与えられた使命だという思想であり、プロテスタント達は職業活動に専心した。しかし彼らは禁欲(断食といったような非行動的な意味ではなく、エネルギーをすべて目的に注ぎ込むような行動的禁欲)だったため、お金は余っていった。そうしたお金を彼らは隣人愛にかなうように寄付していった。このような行動が結果として新しい資本主義の社会的機構を作り上げていくことになってしまった。
とりあえず軽く要約してみましたが分かりづらかったらごめんなさい。
感想
現代では資本主義の精神は忘れ去られ、天職義務だけが残っている。我々は天職人たらざるをえない。
とはいったものの、私達は天職人になることは可能なんですかね?
神なんていないってわかりきっているし、仕事よりも楽しいことがありすぎて禁欲なんて無理無理カタツムリ。
週5日8時間労働とか無理ゲ。高校での週5日7時間授業+土曜4時間(よく考えたらこっちのがきつくね?)でも無理だったし。
しかし、天職に変わる動機づけをすればなんとかやっていけるかもしれない。
人の役に立ちたい、スキルを身に付けたい、ビッグになりてえ、みたいな。
というかこうやって無理して動機づけしないとやっていけない世の中がおかしい。
そういえば書いててメキシコ人の漁師のコピペを思い出した。長いから貼りませんが。「メキシコ人の漁師」でぐぐれば出てくると思うのでよければ読んでみてください。
自分もお金をガンガン稼ぐより程々に楽しく生きるほうが幸せを感じます。
皆さんももう少し休みませんか? とか言ってる自分がもう10年近く休んでるという。
あああと経済とかに興味ある人はこのラノベおすすめです。
作者の方が起業家で、経済学とか世界史とかの勉強になると思います。
ストーリーは終盤の展開はちょっと納得いきませんでしたが。あとがきでの作者の知り合いで他に企業した人がどうなったかのエピソードも面白かった。
巻末のまとめだけでも結構勉強になると思います。