唯唯漂うただの海藻

本やゲームなどの感想とか好きなことを書いていく。

「CARNIVAL 小説版」感想-理想主義者と潔癖、愛による復活-

『CARNIVAL』の小説版を読みました。

電子書籍も新品も売ってないので仕方なく数万円出して中古で購入し・・・たわけもなく、東京都千代田区にある国立国会図書館まで足を運んで読んできました。

国立国会図書館看板

(☝ ՞ਊ ՞)☝ウィー

国立国会図書館出入り口

(☝ ՞ਊ ՞)☝ウィー

初めて行きましたが、国立国会図書館は本好きには最高の場所でしたね。

まあ国立国会図書館について書くのはまた別の機会にするとして、『CARNIVAL 小説版』について書いていきたいと思います。

以下はネタバレ注意です。ゲーム版についてもネタバレしていきます。

 

ゲーム版についておさらい

もうちょうど2年前の記事になりますが、『CARNIVAL ゲーム版』は罪を背負ってしまった人がどうしたら幸福になれるかについての話だと書いたと思います。

hijikichi.hatenablog.com

CARNIVALでの罪

主人公である学は母親を殺し、学校の先輩を殺し、その後も色々な人々を傷つけたりして、罪を犯します。そういった犯罪のほとんどは学の裏の人格である武がしたことでしたが、学はそれらのことに罪の意識を感じていました。ヒロインである理紗もまた、色々なことから逃げ続けることに罪の意識を感じており、学と共感し、幸福になるために二人で日常から逃げ出します。

と、ここまでがゲーム版の内容です。

小説版はゲーム版から七年後の話になります。主人公は学ではなく理紗の弟である洋一に変わります。洋一が七年前の事件について調べていく物語ですね。洋一も学と同じく一癖ある人物であり、テーマなどは変わらず「罪」であったり「幸福」についての話だと思います。テーマにしても話にしても、ゲーム版の補足のようであり、完結編であり、ゲーム版をプレイした後はこれで完結でも何も問題ないわと思っていましたが、小説版を読んだ後は小説版まで読んで完結だと言われているのが理解できました。

罪の意識

さて、まずはなぜ学達が幸福になれないのかもう少し突っ込んで考えてみたいと思います。

小説版で、洋一(もしかしたら学だったかもしれません)はこう言っていました。

自分はみなとは違う不潔な生き物だという意識が僕の平常心を苛んでいた。

引用元:小説版『CARNIVAL』チャプター3より

※引用は読みながら手書きでメモしたものなので一言一句合っているとは限りません。以下同様。

七年後の学は、今まで自分が殺したり傷つけてしまった人達の声が常に自分を責め立ててくるという統合失調症のような症状に陥っていました。

そのせいで、何をしていても楽しくなく、幸福を感じることができないんですね。

ここまで酷くはなくても、こういった感覚は誰しも覚えがあるんじゃあないでしょうか。少なくとも私にはあります。

これは私の小学生の時の記憶ですが、電池を使った理科の実験の後、友達に僕の電池間違って持って帰ってへん?と聞かれました。私は特に覚えがなく、いーや知らんでと答えました。ですが数カ月後、部屋の中から友達の名前が書いてある電池が見つかったんです。私は今更返すのもあれだしなあ・・・と見なかったことにしました。

私は未だに電池を見るたびにたまにこの出来事を思い出して後悔します。

このように、少しのきっかけで昔のネガティブな出来事を何度も思い出して憂鬱になることを、反芻思考と呼ぶそうです。

あそこでああすりゃよかったニャ はい!反省会おわりーっ!

とはならないわけですよ。

くよくよタイムは5秒で終わるはずがなく一生続きますし、やる気ももりもりもりもりあがりませんし、希望もむきません。

・・・とまあ、他の人がどうなのかはわかりませんが、私はこのような反芻思考がしょっちゅうあり、少しでも嫌なことがあると全てが嫌になってしまうので、学達の気持ちはよくわかりました。

学の母親

だから、私にとって学の母親の行動は理解不能なわけです。一時の怒りの感情に任せて暴力を振るう。そして怒りが収まったら先程とは打って変わって優しくする。

そっちは感情を表に出して気持ちいいかもしれませんが、怒りや暴力を向けられる方はずっと引きずるわけですよ。なんでそんなに簡単に暴れられるのか理解不能です。後悔とか理性とかないのか。

私の身内にもそういったヒステリー持ちが何人かいて(もしかしたら私もそうかもしれないが)、私は疲れるのでできるだけ関わらないようにしてます。まあそうやってうやむやにして逃げる行為がよくないというのも小説版の結論でもありますが。

閑話休題

さて、ここで重要なのは、学達が罪の意識を感じている対象が死んでいたり会えなかったりで、本人達にはどうしようもないことでしょう。

決して許されることがないから、ずっと罪の意識に苛まれるし、幸福になれません。

理想主義者と潔癖

「泉さんは理想主義者ですね。」

「洋一君て潔癖なのね。疲れるでしょう。」

引用元:小説版『CARNIVAL』チャプター3より

洋一と泉が学について話しているシーンのセリフだったと思います。

泉は、完璧な善人も悪人もいないから学だけが悪ではないと主張しますが、洋一は、両方に味方するのは不誠実な気がすると主張し白黒はっきりつけようとします。

洋一はかなり潔癖なキャラなんですよね。幼い頃に姉の理紗が父親にエッッッさせられている場面を見たからか、性行為を暴力行為だと感じており、生きた人間に興奮できず死んだ人間にしか興奮できなくなったいわゆるネクロフィリアです。

一見ギャグのように感じますが、洋一が潔癖であることを強調するわかりやすいキャラ付けだと思います。性行為の暴力的なネガティブな部分だけを見て、性行為全てを否定しているわけですね。

洋一だけでなく、学達も潔癖でしょう。ネガティブな感情に支配され、全てをネガティブに感じ、幸福を感じられなくなっているわけですから。

対して泉達理想主義者は、何事にもネガティブな部分とポジティブな部分があるから過去のネガティブな出来事なんて気にせず前に進もうぜ(意訳)と主張しているわけです。ゲーム版の時と主張していることはだいたい同じですね。

冷静に考えなくても泉達理想主義者のほうが正しいですね。まあそうやって簡単にうまく割り切ることができるなら苦労しないわけですが・・・。

生きている人間同士出来ること

「いいですか、死んだ人間は永遠に許してくれない。でも、生きている人間同士なら、許し合うことが出来るんだ。それは素晴らしいことだと思いませんか」

引用元:小説版『CARNIVAL』チャプター5より

学と学の父親がお互い許し合うことによって、学は一瞬ですが罪の意識から解放されます。

ありのままの世界は、こんなに静かで美しいものだったのか。

(略)

「生まれてきて本当によかった」

引用元:小説版『CARNIVAL』チャプター5より

死んだ人間から許されることはなくても、生き残った者同士で慰め合うことは出来る。これは救いであり、唯一残された希望なのかもしれません。

しかしその後学はすぐに自殺してしまいます。生き残った者同士で慰め合うことは学にとってはただの一時しのぎに過ぎず、罪の意識に耐えられなかったのかもしれないですね。

そして学は理紗に遺書を残します。

以下は遺書。学の主張がだいたい伝わってくる名文でした。

メモするのが面倒で(略)ばっかりなのは許してください。

戦う気なんか全然なくなって、(略)全部失われてしまって、(略)生活は続いてしまう。(略)そこからが本当に生きるということなのだろうと、最近はそう思ったりもする。(略)世界は残酷で恐ろしいものかもしれないけれど、とても美しい。(略)今までありがとう。出来ることならば、誰も憎まないで生きてください。

引用元:小説版『CARNIVAL』プロローグより

遺書を読んだ理紗は、実家に戻り、父親とのことを清算するのでした。

・・・私達のような潔癖な人間は罪の意識やネガティブな記憶から逃れることはできないから相手が生きているうちにできるだけ清算して乗り越えていけというメッセージでしょうか。難しいですが妥当な結論だと思います。全ての罪の意識から解放されたときに見る景色は、とても美しいものかもしれないですね。

死について

「大事な人には絶対オレより先に死んでほしくないなって」「(略)死体は人の形をした、ただの肉の固まりではなくて、そこには死というものがまとわりついているんだ」

引用元:小説版『CARNIVAL』エピローグより

ここまで「死」というものは、許されなくなるものだったり、人ではなくモノになるといったようにネガティブなものだと描かれてきましたし、洋一もそう思っていました。ですが、理紗を日常へ返すために死んだ学の死体を見て、洋一は初めて「死」という意味を知り、死体に興奮することはありませんでした。

そして小説版ヒロインのサオリに受け入れられ、サオリの「死」にも意味を見出し、サオリを愛することが出来るようになったんでしょう。

小説版ヒロインのサオリについて触れておきます。サオリは親戚にたらい回しされて最終的に一人暮らしの男性の親戚に引き取られ、エッッッなことをされながら軟禁されており、その親戚のことは嫌いではないけれど外の世界を見たいからと家出して売春をしながらホームレス生活をしている少女です。

滅茶苦茶な境遇ですが、サオリは学達と違ってメンタルつよつよの民でした。サオリは親戚の男のことも恨んでいないし、騙されて格安で売春させられていたことも特に気にしていません。これが理紗だったら滅茶苦茶気にして恨んでたでしょうね。とにかくポジティブな人物で、洋一のネクロフィリアという特殊な性癖も受け入れます。まるで聖母のよう。

そうしたサオリの愛によって、洋一が姉と父の性行為を見たことで一度死んでいた魂が復活した(特殊な性癖から通常の性癖に戻った)というイメージでしょうか。潔癖でネガティブに支配されている人にポジティブな面を意識させるには愛という強大なパワーが必要なのかもしれませんね。サオリを見ていると、性格は違いますが、『罪と罰』のソーニャを思い出しました。『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは殺人を犯して魂が死にましたが、ソーニャによって復活します。思い返してみれば、『CARNIVAL』は『罪と罰』を少し意識していた気もします。どちらも「罪と罰」の話ですし、ソーニャもサオリも売春婦ですし。

あとがきについて

親鳥の目の前で卵割ってやったらどんな反応するんだろうなー(ニチャニチャ)という趣味の悪い話でした。

結果、親鳥は夢中で卵を食べ始め、畜生は親だとか子だとかそんなことは気にしないんだという結論だったと思います。

人は愛があるから悩むし救われるし幸福になれる。そういうことでしょう。

感想

とても面白かったです。わざわざ国立国会図書館まで出向いた価値はありました。

罪の意識にずっと苦しめられるとかネガティブなことが少しでもあると全てが嫌になる(意訳)とか共感しかない。

ただ、学が自殺したのは少しもやもやします。その後理紗は学と同じ苦しみを味わうことになると思うのですがその事は考えなかったんですかね。学ならもっとスマートなやり方があったはずです。まあ洋一のネクロフィリアと絡めるためにも学の死は必要なものでしたが・・・。

『CARNIVAL』とはかなり波長が合ったので、瀬戸口廉也さんの他の作品もプレイしてみたいですね。『キラ☆キラ』とか『MUSICUS!』とか気になってます。