唯唯漂うただの海藻

本やゲームなどの感想とか好きなことを書いていく。

「天気の子」小説版感想-大事な人の支えになる人間になろう-

今更ながら小説版の「天気の子」を読んだので感想を書きたいと思います。

あんまりメジャーな作品の感想書きたくないんですけどね。もっと深い感想書いてる人いるだろうから私の感想ガバガバなのバレてまうやん。

でもまあせっかく読んだし一応書こうと思います。

ちなみに映画の方は見てません。

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

 

あらすじ

他人は冷たい

東京に家出してきた高校一年生の主人公、帆高。

東京に来たはいいものの、街の人々は冷たかった。道を尋ねても応えてもらえないし、舌打ちはされまくり。どこに行っても冷たい対応をされ罵声を浴びせられる。

大事な人と出会う

そんなある日、マクドナルドで夕食のポタージュを飲んでいると、店員さんからビッグマックを手渡される。三日連続でポタージュだけなのに見かねてのことだった。

東京に来てから初めて優しい人と出会った瞬間だった。

そして帆高は、東京に来るまでの船で出会った男、須賀のもとでバイトを始める。バイト先には須賀の姪、夏美もいて、三人で仕事をするようになる。

仕事中、二人には何度も怒られる。しかし二人の叱りには愛があり、むしろ嬉しかった。

そんな中、ビッグマックをくれたマクドナルドの店員と再会する。彼女は陽菜といい、天気を操れる少女だった。

世界か彼女か

降り続く雨、狂った天気を元に戻すには、天気の巫女である陽菜の犠牲が必要だった。

そうして陽菜は消え、天気は元に戻る。

しかし帆高は天気よりも陽菜といることを願った。そしてまた陽菜も生きることを願った。陽菜は戻ってき、天気もまた狂った。

世界は元々狂っている

三年経ち、未だ雨の止まない世界はすっかり地形も変わってしまっていた。

帆高は高校を卒業し、保護観察処分も終え、再び東京へ行く。

世界を変えてしまったことに罪悪感を持つ帆高だが、そんな帆高に須賀は「世界なんてどうせもともと狂っている」と言う。

やっぱり選んだのは自分

須賀の言葉で迷う帆高だが、坂の上でただただ祈っている陽菜を見、陽菜さんを選んで世界を狂わせてしまったのはやっぱり自分だと気づく。

大丈夫

世界が君の小さな肩に乗っているのが

僕にだけは見えて泣き出しそうでいると

「大丈夫?」ってさぁ君が気付いてさ聞くから

「大丈夫だよ」って僕は慌てて言うけど

なんでそんなことを言うんだよ

崩れそうなのは君なのに

取るに足らない小さな僕の有り余る今の大きな夢は

君の「大丈夫」になりたい「大丈夫」になりたい

君を大丈夫にしたいんじゃない君にとっての「大丈夫」になりたい

引用元:RADWIMPS「大丈夫」

帆高は泣いていた。陽菜もまた、泣いていた。帆高は陽菜に、「僕たちは、大丈夫だ」と言う。

感想

「自分の大事な人を大切にしよう」っていうメッセージの作品ですね。

といっても、誰かを守るためには誰かを犠牲にしてしまうこともあります。そういった責任や罪悪感を一緒に、もしくは代わりに負って支えられる存在になりましょうねって感じです。

世界を犠牲にした展開には賛否両論あると思いますが、このテーマなら必然だったと思います。

というか、街の人々の民度が低すぎるんですよね。風俗店の人とかホテルの人とか警察とかスマホパシャパシャしてた人達とか。こんな奴ら救いたくなるか?って話ですよ。

あとがきで新海誠監督が書いていましたが、「天気の子」は「君の名は」が有名になりすぎてディスられまくっていたときに作った物語だそうです。

これは世界よりも周りの人を大切にしようって話になるのもわかる気がします。

世界を救う系の他の話を読んでてたまに思うのですが、各々自分の大切な人達を守ってりゃいい話なんですよね。主人公とかに世界の明暗を押し付けるの無責任すぎるんですよ。

 

都会に住んでいる人ならわかると思いますが、その辺を歩いてる見知らぬ他人と関わることにメリットがないんですよね。無関心が一番いい。都会の人は冷たい。それは間違いない。私も含めてね。

例えば、遠い国で人が何人も死んだってニュースを聞いていちいち悲しむかって話ですよ。都会は人が多すぎるんです。いちいち感情移入してたら身が持たない。

アドラー先生も言っていました。仲間意識を家族、友人、社会、世界、宇宙へと広げていけと。共同体感覚でしたっけ。

まずは周りの人を大切にし、余裕ができたらそれをもっと広げていくとかでいいんじゃないでしょうか。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

あと言いたいこともう一つ。須賀さんが言ってたこと。

世界は元々狂っている。だから多少わがままを通しても問題ない。

上で言ったことと矛盾するかもしれませんが、私もそう思うんですよね。

今は会社のためだとか社会のためだとか国のためだとかで働く時代じゃないと思うんですよ。

もっと自分勝手に自由に生きていいと思うんですよね。

他の人のブログとかTwitterとか見ててたまに思うんですけど、みんな優しすぎるんですよ。

お局様とかシカトしとけばいいし、仲良くなる気がない奴はテキトーにあしらっとけばいいと思うんですが。もしかして私がおかしいのか?

皆さんもネットでやべーやつがいたらスルーしますよね?私は現実でも同じことをしてるだけです。

会社の人間関係なんてテキトーでいいでしょ。別に全員と仲良くする必要もなし。

仕事もテキトーでいいでしょ。好きなことならまだしも。

仕事?金のためだけど?って精神でもいいと思います。

私の知ってるYouTuberで、会社でミスって数百万損失出したわーってネタにしてる人いますが、そこまでいくとちょっとどうかとは思いますけど。

色々気を使いすぎて選択肢を狭めるのが一番ダメかと思いますね。

まあ人と関わるのダルすぎて現在ひきこもってる私が言うのもあれかと思いますけどね!

上の話と被ってきますが、ほとんどの人は他人に無関心なわけですよ。つまり愛がないんですね。

愛がない人の声に耳を傾ける必要はない。愛がある一部の人の話だけ聞いとけばいいんですよ。

愛がない人に気を使って疲弊する必要はないんです。

余裕ができてきたら自分からも愛の輪を広げていけばいいんじゃないでしょうか。

つまり輪るピングドラムを見ましょう。

世界よりもまずは周りの人から。無理のない範囲で頑張っていきたいですね。