唯唯漂うただの海藻

本やゲームなどの感想とか好きなことを書いていく。

「ノラと皇女と野良猫ハート」感想-人と獣の間の野良猫。あと勉強について-

タイトル画面

Vita版にしようかPC版にしようか激しく悩みましたが、R18じゃないと出来ない表現もありそうだったしVita版はネコのお考え100連発もできなさそうだったのでPC版をプレイしました。

といっても相変わらずエッッッシーンはすっ飛ばしましたし(原画さん声優さんライターさんごめんなさい)、ネコのお考え100連発もおまけみたいなものなんでVita版やSwitch版でもいいと思います。

プレイ時間はカンストしました。

ノラととプレイ時間

・・・実際は裏で放置してただけなので20時間前後だと思います。

というかセーブ時間で私の生活サイクルぐちゃぐちゃなのバレバレだというね。2時間睡眠の日もあれば12時間睡眠の日もあるひきこもり特有のぐちゃぐちゃ生活サイクル。

以下ネタバレ注意。

ノラと皇女と野良猫ハート - PSVita

ノラと皇女と野良猫ハート - PSVita

  • 発売日: 2017/09/28
  • メディア: Video Game
 

 

 

あらすじなど

まずはあらすじから。

湾岸の町「桜ヶ淵市」に暮らす少年「反田ノラ」は、ある春の日の登校途中、一人の美しい少女の姿を目にする。「パトリシア」という名のその少女は冥界の皇女であり、ノラたちの住む地上の生物を滅ぼすためにやってきたのだった。その日の昼、ノラはとある出来事からパトリシアとキスをしてしまう。するとノラの体は一匹の黒猫の姿に変わった。パトリシアが持つ魔力により、ノラは彼女の眷属になってしまったのである。数日後、人間の姿に戻ることができたノラだったが、その後も幾度となく猫になったり人間に戻ったりを繰り返すようになる。

引用元:Wikipedia

ノラと皇女と野良猫ハート」(以下「ノラとと」)のテーマは、タイトルにも書いた通り、「人と獣」だろう。

先週の「るいは智を呼ぶFD」と丸被りである。別に狙ったわけではない。まあ私がちょっと先週に引っ張られてこの考えになったかもしれないけれど。だが「るいは智を呼ぶFD」とは違ったアプローチの仕方で「人と獣」について描いていたと思うので、先週と同じ話の繰り返しにはならないと思う。

hijikichi.hatenablog.com

未知ルート

ノラとと未知

プレイ順について書くのを忘れていた。

私は未知→シャチ→ユウキ→パトリシアで進めた。パトリシアを最後にする以外は順番は何でもいいと思う。

ただ未知ルートは人によっては進めるのがかなりしんどいと思うので、そこだけは注意かもしれない。

私は共通ルートのこのシーンで未知ルートはしんどくなるのを確信したので、苦手なものを先に食べてしまうタイプの私は未知ルートを最初にプレイした。

話を進める。

未知の母親はいわゆる毒親だ。

塾に通わせたり家庭教師をつけたり、未知のためにたくさんお金を使っているので未知を愛しているように見えるが、実はただ自分の理想を押し付けているである。未知の事を本当に考えているわけではないので、未知の意見には全く耳を貸さず言葉を聞こうともしない。

だがそのことで苦しんでいる未知に対し、主人公のノラは、それは受け入れるしかないと言う。

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まずは受け入れ、そこから始める。それは辛いことかもしれないが、仲間たちがそばにいるし助けてくれるから大丈夫だ。

それは確かに人として正しいことである。だが、そんな簡単に割り切れるものではない。未知はノラに八つ当たりし、ノラは猫となって人の言葉を話さなくなる。

ノラが人の言葉を話さなくなったのは、未知がノラと向き合う事が怖かったからだ。

人と獣の違いとは、人として正しいことをするか否かである。未知はノラに謝りノラと向き合うことを決め、またノラも未知と向き合う事に決め、ノラは人に戻った。

人として正しく生きることに決め、母親も受け入れることにした未知達だが、ことはそんなに甘くない。

母親に向き合って思いをぶつけてみても何も変わらないし、母親は詐欺師に騙され未知は襲われそうになる。

そしてノラは未知を助けるために獣となり、詐欺師を殺そうとする。だが、殺す一歩手前のところで踏みとどまる。踏みとどまる事ができたのは、未知や他の仲間達がいたからだ。人との絆は人に正しい行動をさせる。

人は常に人として正しく生きることができるわけではない。そんなの当たり前だ。常に真面目に生きていたとして、それで楽しいのはごくごく一部の人だろう。未知は委員長キャラだが、そういう真面目なところだけが本当の未知なのではなく、ノラ達とふざけたりしてバカやっているときの未知もまた本当の未知なのだ。

私達はみな、人と獣の間で揺れ動く野良猫だ。人として正しく生きていることもあるし、そうでないこともある。ノラが詐欺師を殺しかけたように、時には完全に獣になってしまいそうになることもあることもしれない。そういう時に踏みとどまらせてくれるのは、仲間との絆である。

人は一人でいてはならない。未知の母親や詐欺師が人として正しくなかったのは、仲間がおらず一人だったからだろう。

シャチルート

ノラととシャチ

このルートはちょっとよくわからない。

シャチは機械→けれども人でいたい→愛があるから人、という流れだけれど、機械なのに人として生きる問題をさら―っと流されたからなんも言えない。ストーリー短すぎる。三姉妹にテキトーに語らせて締めるんじゃなくて、暴走してやっぱり機械だから天界行くわ―→いーや愛があるから人間だね、って流れを最後に持ってきてくれると良かったかも。

ユウキルート

ノラととユウキ

ユウキは貧乏なことを学校でからかわれて不登校になって悪い連中と付き合っていた時期があり、今でもたまにそういった連中からちょっかいを掛けられていた。

だが、ユウキはそういった連中のことは仕方がないと受け入れ、やり返したりなどはしない。

「自分がやられて嫌なことは人にしちゃいけない」。確かにこの考えは人として正しい。だがやはり現実はそう甘くはなく、理不尽は襲いかかってくる。

連中は調子に乗り、ユウキの働いている猫カフェの猫たちを襲って半殺しにする。

ノラ達は報復に行き、ノラはリーダーの腕を折ろうとする。

だがそこでノラを踏みとどまらせたのは、やはり仲間との絆であった。

ユウキもまた、人として正しいことと正しくないことで揺れ動き、正しくないことをする。

人として正しいこと(先生の言うことを聞く事)ではなく、正しくないこと(友情をとる)を選択した。(先生にノラたちのことを聞かれて知らないと答えた未知聞いてるか?)

けれどもユウキは後悔しない。人として正しくあることよりも大事なことがあるのだ。

私達は人と獣の間で揺れ動く野良猫だ。時には人として正しくないこともしてもいい。けれども完全に獣になってはならない。そのために必要なのは仲間なのだ。

パトリシアルート

ノラととパトリシア

パトリシアは冥界の皇女である。

けれども、ノラに恋し、人としての感情を持ち、命を得てしまった。

未知ルートでは「親」に反抗し、シャチルートでは「機械として、母としての自分」に反抗し、ユウキルートでは「理不尽」に反抗してきたノラ達であるが、パトリシアルートでは「死」に反抗する。

パトリシアが命を得たことにより、世界の命の総数が増え、世界のバランスが崩れてしまう。それを止めるため、ノラは一度死んで冥界に行き勉強し二人でいられる方法を探そうとする。

パトリシアにとって正しいことは、命を手放すことである。ノラにとって正しいことは、パトリシア、もしくはノラが死ぬことを受け入れることだろう。

けれどもノラたちはそれを受け入れられない。

ノラは言う。人の姿すらなくし、親からもらった命を手放そうとしている親不孝者だが、今の自分は幸せだ。だってノラ(野良)って自由だから。こんな変な名前をもらって恨んだこともあったけど今は感謝している。

野良猫は世界の理にも人としての正しさにも縛られない。自由な存在だ。

そうしてノラは冥界に行き長い年月をかけて学び、地上へ戻ってくる。

世界の理を変えたり、人としての正しさを捨てるときの原動力とはなんだろう。

それは愛であったり、学びたいと思う心であったりするのかもしれない。

勉強について

「人として正しいことが必ずしもその人にとって正しいわけではなく、人は人にも獣にもなる」「仲間の重要性」「愛の重要性」「学びの重要性」だいたいこのあたりが「ノラとと」のテーマだったと思う。

学びについてちょっと書いていきたい。愛については愛というよりも人と向き合うことであって、それはプレイすればだいたい分かると思うので割愛。

どのルートでも、学びについての重要性を説いている。

未知ルートでは、自分の興味のあることに関連付けて考えると楽しみながら学べると言っていた。言うならば「楽しみながら学ぶ」。

シャチルートでは、病気になったノラの母親のために家事を必死で覚えた。言うならば「誰かのために学ぶ」。

ユウキルートでは、勉強ができる環境を用意した。言うならば「誰かと一緒に学ぶ」。

パトリシアルートでは、知らないものを知って素敵なものを見つけるために学んでいた。言うならば「世界を広げるために学ぶ」。

ここから下は私の考えと自分語り。

私は本当に勉強の出来ない人っていないと思ってる。その人の成績が悪いのは、未知ルートのノラのように勉強の楽しさややる意味を見いだせないだけであったり、中学生の頃のユウキみたいに環境が整っていないだけだと思う。

少し自分語りをしよう。私は小学校受験と中学校受験を経験し、どちらも成功しかなりの進学校に通っていたが、中学生からは成績がずっと底辺で中学三年くらいからは半分不登校みたいになり高校もサボりまくりで大学受験からは逃亡した。

私の成績が悪かった理由は簡単である。社交不安障害だ。まあ今となっては言い訳にしか聞こえないかもしれないが。外に出て電車乗って学校行って授業受けるという行動だけで精一杯で勉強する余裕がなかった。学校行っても視線恐怖で全然集中できないしテストも全然わからんしで楽しくなく学校行くふりをし電車をわざと乗り過ごしたりしていた。二日に一回くらいしかまともに行ってなかったんじゃなかろうか。今でも今日こそは学校行かなくちゃと夢を見て飛び起きたりする。あれからもう10年も経ってるのに。家庭教師をつけられたり塾に行かされたりしたが、それで成績が良くなるわけがない。まずは人と関わるストレスをどうにかしないといけなかったのだ。勉強とか以前にマジで外に出て人と関わるの無理だと認めて誰かに相談するべきだった。昔から社交不安障害なのに小学校受験と中学校受験がうまくいったのは、暗記がほぼなく授業を聞いていなくてもテスト中に考えるだけでいいからだ。その証拠に私は暗記科目の社会だけは絶望的に成績が悪かった。まあ今はストレスで脳が萎縮してその考える力すら残ってないけどね。ちょっと自分語りが長くなった。隙があったしここはほとんど見る人のいない私の個人的なクソ雑魚ブログだし許して🐯。

あとは目指すところをハッキリ決めることも大事かもしれない。私の志望学部の遷移を例に出すと、結婚したくない男の主人公みたいな生活したいし建築学部行くかー→やっぱりポケモンが好きだから獣医学部行くかー→社会に出れる気がしないし6年の猶予がある薬学部行くかー、とゆらゆらしすぎだった。そもそも学校を楽しいと思ったことがなく大学に行きたいと思わないし外に出たくもなかったのでそりゃ浪人したらやる気も何も出ず予備校も行かずずっとひきこもってるわな。

私の例で何が言いたいかと言うと、ただ勉強しろ勉強しろと言って成績があがるはずがなく、勉強をするためのモチベーション(目指すところをハッキリ決めることや楽しみなど)や環境を用意しなくてはならないということだ。環境を用意するというのは悩みを解決するなども含まれる。例えば家で両親が不仲で環境がメチャクチャであったり、学校でいじめられていたり、そういう人は間違いなく勉強する余裕などないだろう。

ただ勉強しろ勉強しろと言うだけだったり、暴力や言葉の暴力によって勉強できるようになる人もまあいるんだけど、それだとマウンティングしないと生きていけない人間になったり、とりあえずの目標だけ達成したらそこで終わったりする。両方の例を知ってるのでこれはあんまりおすすめしない。私と同じく親子関係がうまくいってなかった友達の話だが、宮廷行ってそっからひきこもって休学しまくり髪も切りに行かず足あたりまで髪伸びててこいつマジか・・・と思った人もいる。何年も連絡取ってないけど元気してるだろうか。気付いたら連絡ください。

このブログを見ている人に中高生やそのくらいの子を持つ親などいるはずはないだろうが、もしいたら一度勉強をしなくてはならないという考えから離れてそういうことも考えてみて欲しい。

雑感

地の文を極力減らした読みやすい文章、コロコロとテンポよく変わる飽きさせない展開、「人として正しいことが必ずしもその人にとって正しいわけではなく、人は人にも獣にもなる」「仲間の重要性」「愛の重要性」「学びの重要性」というテーマからも、中高生くらいの人向けの作品だという印象を受けた。

テーマをまとめると、「人として正しいこと」・・というか「自分がそうでなくてはならないという思い込みや決め事」を変えるには「愛」や「学び」が必要で、やりすぎて人道から外れて獣にならないためには「仲間」が必要って感じだろうか。全ルートこの通りの話だったと思う。

「愛」や「学び」で世界を変えるというのは、例えば愛によって世界を書き換えた冠葉や晶馬のように。他には想像力が世界を変えると結論づけた早季のように。まあそんな感じ。

シナリオについてだけども、私は全体的に面白くてそんなに気にならなかったが、テンポのよい会話と場面変化で楽しませることに特化してるので、粗や雑さは少し目につくかもしれない。ナレーターや会話文で()を使って地の文を極力減らした文章も気になる人は気になると思う。なので購入する前に体験版を触っておくのがおすすめ。

あとは未知ルートが少々重い。重いけれども、共通ルートで警戒していたほど重くはなかった。良くも悪くもサクサク進むのでシリアスシーンもすぐ終わる。それよりも全ルート共通して言えることだが、イチャイチャシーンやエッッッシーンが多いのが私は鬱陶しかった。イチャイチャシーンやエッッッシーンが鬱陶しいってなんでエッッッッゲしてるんだろう(哲学)。というかエッッッシーンのタイミングがよくなかったかもしれない。中盤くらいにエッッッシーンが多かったので、未知ルートはこんなことやるより他にすることあるのでは?と思いながら見てた。

未知ルートをやって親との関係についても書こうとも思ったが、「CARNIVAL」のときみたいにめちゃくちゃ書いてしまいそうだし別にメインテーマってわけでもなかったのでやめた(まああの記事はとっくに消したけど)🐯。ああいう母親はまじでいる🐯。未知もそうだし、「プロセカ」のまふゆもそうだけど、あの環境で仮面を被ってやり過ごせるのはすごい。私は脳死(フラット・ライン)することくらいしかできんかったからなあ🐯。むしろ仮面を被っている人見ると拒否反応出るくらいだった🐯。最適解は「月に寄りそう乙女の作法」で朝日ちゃんも言っていたように自分も向き合っていないと気付いて自分から向き合って理解することだと思う。といっても子供のうちにこれに気づくのは難しい。

人と獣について一番わかりやすく直接的に書かれているのが未知ルートでもある。「るいは智を呼ぶFD」とは色々と違ったが、興味深い話だった。人と獣の違いというよりも、人と向き合うことの大切さを描いていた気がする。パトリシアは愛を知り命を得た。愛を持たず自分の世界にひきこもっているような人は、命を持たず死んでいるようなものかもしれない🐯。

評価に移る。

キャラ4/5、テーマ4.5/5、展開4/5で83/100

キャラデザやCGはとても高水準。けれどもストーリーでキャラクターの魅力を引き出せているかどうかはパトリシアルート以外は微妙。テーマはいいけど山月記を知っているのと猫は伝説のなりかけの半端な存在っていうパトリシアの話などをちゃんと聞いていないとちょっと分かりづらい気がする(というか伝説って結局なんだったのか私もいまいちよくわかってない)。ストーリーは整合性よりも勢い重視なので好き嫌いが分かれそう。

来週は間に合えば「ノラとと2」の感想を投下したいと思う。